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夏休み 東京少年軟式野球合宿2019

コーチ・スタッフ

豊田清

投手コーチ(2日目)

豊田 清
鈴鹿高 → 同朋大 → 西武 → 巨人 → 広島 → 巨人コーチ

鈴鹿高から同朋大へ進学し、愛知大学野球連盟秋季2部リーグ戦では最優秀選手に選出。チーム初の1部リーグ昇格にも貢献し、92年のドラフト会議で西武から3位指名を受け入団。96年から本格的に先発投手として登板し、97年は自身初の二桁勝利を挙げチームのリーグ優勝に大きく貢献。01年からは抑えに転向し、02年にはパ・リーグ歴代1位となる38セーブを獲得。03年も2年連続で最優秀救援投手に輝き、プロ野球史上15人目の通算100セーブを挙げ、日本を代表する抑え投手として活躍。その後、06年にFAで巨人に移籍し、07年にはプロ野球史上5人目の通算150セーブを達成。08年には50試合に登板し、チームトップの26ホールドを挙げ、チームのリーグ優勝、球団初のCS制覇で日本シリーズ進出に貢献。09年もリーグ優勝と日本一に貢献し、初めて巨人での日本一を経験。11年に広島に移籍し中継ぎとして活躍するも、同年現役引退。

成績
558試合 66勝 50敗 157セーブ 81ホールド 防御率2.99
最優秀救援投手:2回 ('02、'03)
月間MVP(投手部門:99年8月)
オールスターゲーム優秀選手賞(02年第2戦)
オールスターゲーム出場 4回 ('97、'01~'03)

指導歴
12年から14年は巨人二軍投手コーチを、15年より一軍投手コーチを務める。17年より再度二軍投手コーチを務め、18年に一軍投手コーチを務める。

藤田宗一

投手コーチ(3日目)

藤田 宗一
島原中央高 → 西濃運輸 → ロッテ → 巨人 → ソフトバンク → 群馬(独立)

高校卒業後、社会人野球・西濃運輸で抑えとして、社会人野球日本選手権大会に出場。5試合全てに救援登板し3勝、防御率1.00で敢闘賞を受賞し、チームの準優勝に大きく貢献。翌年も都市対抗野球でベスト8に進出し、97年のドラフト会議で千葉ロッテから3位で指名され入団。99年に65試合、00年に70試合登板で2年連続最多試合登板し、最多ホールドのタイトル獲得。01年も60試合に登板し、オールスターゲームに初出場。05年はロッテの勝利パターン継投「YFK」の一角として45試合に登板し31年ぶりのリーグ優勝と日本一に貢献。08年、巨人に移籍し、日本記録となる527試合連続救援登板を達成。11年にソフトバンクと育成選手として入団。その後支配下登録し、同年通算600試合登板を達成。その後、12年、BC群馬に選手兼任投手コーチ補佐として入団し、同年現役引退。

成績
600試合 19勝 21敗 8セーブ 77ホールド 防御率3.89
最多ホールド投手(’00)
オールスターゲーム出場(’01)
2006 WBC日本代表
千葉市市民栄誉賞(’06)

指導歴
中学少年野球チーム・吉川美南ボーイズのアドバイザリーコーチとして指導。

本間 満

野手コーチ

本間 満
駒大岩見沢 → 駒澤大 → ソフトバンク → 石川(独立)

小学時代は投手、中学時代は強打の三塁手として注目を集め、駒大岩見沢高に進学。高校3年時に春の選抜甲子園に出場するも1回戦敗退。駒澤大では春休みの練習から長打を連発し、1軍のレギュラーに抜擢される。鉄壁の遊撃手として活躍し、4年時には 同期のエース河原純一選手(巨人など)と駒澤大学の全日本アマチュア野球王座決定戦制覇に貢献し、日本代表に選出。94年ドラフト3位で福岡ダイエーホークスに入団し、00年に二塁手のレギュラーとして活躍。 03年には日本シリーズ制覇に貢献し、06年はオールスターゲームに選出。 95年から09年の長きに渡り福岡ソフトバンクホークスの選手としてチームに貢献。 NPB引退後、10年にBCリーグの石川ミリオンスターズへ入団。打点王を獲得するも、同年任意引退。

成績
767試合 395安打 .248率 135点 12本
オールスターゲーム出場 ('06)

指導歴
滋慶学園硬式野球部監督を歴任後、16年から子供向けスポーツスクール最大手・リーフラスに入社し、17年から中学硬式ヤングリーグ・千葉ポルテクラブのスーパーバイザーに就任。

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